そろそろ冬も近づいてきたので、スキーに関する記事も書きたいと思います。私自身のスキーに関する経歴と、それぞれの時期の移動手段(スキー場へのアクセス)を記載します。
4歳〜高校卒業(愛知在住)
メインゲレンデ
- 木曽駒高原スキー場(2021年現在閉鎖)
- ひるがの高原スキー場
主に父親の会社の保養所が近かった木曽駒高原に年に一度行っていました。小学生頃に高速リフトができた気がします。リストも数本の(今思えば)小さなスキー場でしたが、初級から上級まであり、上級の父親も楽しんでいました。
シーズンに二度スキーに行く場合は、ひるがの高原に行くという感じでした。あまり記憶には残っていませんが、スキー場の名前だけははっきり覚えています。
移動手段
父親の運転する車で行っていました。セダンタイプの車にスキーキャリアをつけて移動です。
木曽駒高原は中津川ICから下道、ひるがの高原も当時は東海北陸道もなかったので基本下道の印象です。今であれば、ひるがの高原のアクセスは抜群になりましたね。個人的に岐阜のスキー場は今も渋滞するし混雑するし、敢えて行きたいとはあまり思いません‥。
大学入学〜大学卒業(東京在住)
メインゲレンデ
- 白馬岩岳
- 野沢温泉
- その他、長野(白馬、北信、東信)
- 新潟(赤倉妙高、苗場)
学科、サークルの友人たちと年に数回行っていました。基本的には長野、新潟でした。幹事をすることが多く、行くメンバーによって行き先は変えていました。mixiで知り合った雪山好きと一緒に行くこともありました。
高校までと違い、こんなに広いスキー場があるんだー、と感動していた頃になります。シーズンオフにバイトで稼いだお金を、スキーシーズンで使うという形になっており、冬の収入(当時から家計簿つけていました)がとても少なかったのを覚えています。
移動手段
基本的にバス(夜行)でした。池袋から新宿発で出発なので、そこまでは電車でスキー板を背負って移動していました。ストックもスキーケースに入れ、ブーツケースも持ち、宿泊セットはリュックに入れての移動は結構大変でした。
mixiで知り合った人は社会人も多かったので、車で送ってもらったりしてかなり楽でした。やはり学生時代がいろんな人と出会って楽しい時期でした。
就職〜関西転勤(長野在住)
メインゲレンデ
- 野麦峠
- 白馬八方尾根
- その他、長野(中信、白馬、北信、東信、木曽)
- 新潟(赤倉妙高)
長野県内制覇な感じでいろいろなスキー場に行きました。初期は白馬岩岳でレベルアップ、中期以降は野麦峠や白馬八方尾根でトレーニングという感じでした。
毎週末出かけていたので、とても上達した時期です。会社の人と行くことも多かったですが、後半は一人で練習に行っていました。学生時代は旅行として楽しんでいましたが、自分のペースで滑れるのはそれはそれで楽しかったです。
移動手段
就職してマイカー(コルト)を購入し、会社の人と行くときはキャリアを使って移動しました。一人の時はスキーを車内積みで行っていました。高速を使わなければそれほど錆びることはなかったのですが、やはり多少は気になりましたので。
関西転勤〜結婚(関西在住)
メインゲレンデ
- 白馬八方尾根
転勤後も長野の拠点に出張が多かったため、会社の友人や職場も近く長野が実家の学生時代の友人とともに白馬に行っていました。
この頃、白馬岩岳でスキー検定二級を取得しました。レッスンも受けてでしたので、何を気をつけて滑れば良いかも教えてくれ、レッスンを受ければ比較的受かりやすいのではと思いました。
移動手段
関西から車を交互に運転したり、車で移動して行きました。関西から長野の道のりは長いですが、交互に運転であれば仕事終わりの移動でもなんとかなりました。
結婚〜出産前(関西在住)
メインゲレンデ
- 長野(白馬)
- 滋賀
結婚してからは初心者の妻を連れて出かけました。雪の多い白馬にも行きましたが、近場の滋賀のスキー場も開拓を進めました。ですが、やはり滋賀のスキー場は狭いですね‥。その割に人が多いのもどうかという感じです。
移動手段
車での移動が基本です。2人なので、コルトでもスキー板は車内積みで可能です。しかし、一泊分の荷物を考えるとキャリアを使わざるを得ないこともあり、白馬に行った時にキャリアに積んでいたら、帰った頃にはエッジが錆びててショックでした‥。
出産後〜(関西在住)
メインゲレンデ
- 滋賀
子どもが雪遊びメインな場合もあり、近場で雪の多い滋賀のスキー場に遊びに行っています。子どもはホテルも大好きなので、泊まりで行くこともありますが、移動時間の過ごし方の関係で移動が2時間程度の範囲で今は考えています。
ゆくゆくは長野に行きたいと思っており、愛知を経由して行くこともそろそろ考えても良いかもしれません。
移動手段
車がメインであり、昨年まではコルトで出かけていました。子どものスキー板も乗せるため、親のスキー板はキャリアに積まざるを得ません。スキーケースに入れて乗せるという形で融雪剤(塩化カルシウム)を避けて錆びから守っていました。スキーケースが劣化したり白くなったりしますが、スキー板自体は守られており綺麗な状態で助かります。
まとめ
時期によっていろいろですが、やはり学生時代と就職後がスキー場によく行っており、上達していた時期かと感じます。
これからは子供の上達に向けいろいろと練習させ、一緒に滑れるようになっていきたいと思うので、その記録もブログで残していきます。
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